保護司、更生保護施設、更生保護女性会、BBS会、協力雇用主・・・
地域には、さまざまな形で、罪を犯した人の立ち直りを支えている人がいます。
立ち直りを支える地域の人々が安心して活動できるよう支え、その輪を広げることが日本更生保護協会のミッションです。
終わりのない立ち直り支援
立ち直りを支える人への支援
“輪”を広げる
理解と応援が得られる社会づくり
更生保護は、明治21年、金原明善、川村矯一郎らによって設立された「静岡県出獄人保護会社」に始まると言われています。 同保護会社は、出獄人の保護を行って、その再犯を防ぐことを目的として、宿泊保護施設(今日の更生保護施設の源流)を設けるとともに、県下に1,700人を超える保護委員(今日の保護司の源流)を配置しました。その後、同様の団体が増加し、大正初期には全国で100を超える民間団体がありましたが、これらの団体を統括する中心となる組織がありませんでした。
三井八郎次郎男爵が免囚保護事業改善等のために私財75万円を寄付され、全国の民間団体の中心組織として「財団法人輔成会」が設立されました。これが日本更生保護協会の前身です。会長には司法次官鈴木喜三郎が就任し、全国の免囚保護事業の指導、連絡に当たりました。
財団法人輔成会は、財団法人日本少年保護協会及び財団法人昭徳会と合同して、「財団法人司法保護協会」となり、事務所を東京市麹町区三番町に構えました。
昭和24年、犯罪者予防更生法が施行され、翌25年には、保護司法及び更生緊急保護法が、さらに昭和29年には執行猶予者保護観察法が施行され、新しい更生保護制度が整備されました。
財団法人司法保護協会は、「財団法人日本更生保護協会」に名称変更しました。
更生保護会館が東京都渋谷区千駄ヶ谷5-10-9に落成。
同会館に日本更生保護協会、全国保護司連盟、全国更生保護会連盟のほか、更生保護婦人会、BBS連盟などが入居しました。
更生保護事業法の施行に伴い、「財団法人」から「更生保護法人」に組織変更され、「更生保護法人日本更生保護協会」となりました。
更生保護制度施行50周年記念事業のロゴマーク(生きるマーク)・キャッチコピー(人はみな、生かされて生きてゆく。更生保護ネットワーク)が完成しました。
犯罪者予防更生法と執行猶予者保護観察法を整理、統合し、新たな更生保護の基本となる「更生保護」法が制定され、翌20年から全面施行となりました。
日本更生保護協会は、設立100周年を迎えました。
本会会章は、昭和62年4月に制定されました。当時の東京藝術大学清家清名誉教授・平山郁夫教授監修、吉田左源二教授のデザインによるもので、更生保護5団体を表象する瑞雲と、愛情深くヒナを育む国鳥のキジを意匠化したものです。更生保護会館正面に掲げられた直径150cmの会章(右写真)は、(株)現代壁画研究所・温井工業(株)等、多くの方々の格別なご協力を得て、滋賀県信楽で制作されたものです。
改札口を出て右手へ進み、高架下をくぐり直進。駅からは徒歩約7分。
東口を出て左手へ進み、道なりに直進。千駄ヶ谷五丁目交差点を直進し、新宿御苑のわき道を右折。駅からは徒歩約7分。
1番出入り口を出て、明治通りを新宿方面へ進み、北参道交差点(修養団SYDビル脇)の道に入り直進。駅からは徒歩約10分。